第14回 「さらば奥州」

第14回で、義経がなぜ平泉を去ることにしたのか、以前書いた記事(id:Mariner-S:20050315#p1)を元に、質問―回答形式で列挙します。

  • なんで平泉を離れるの?
    • *1と共に戦いたかったから。兄が石橋山の戦いに敗れ、苦境に立たされている時こそ側にいたい。
  • だからといって、何も戦に身を投じなくても…?
    • 兄が源氏の血筋として戦に身を投じているのに、自分は平泉で安穏としていられない。
  • 今まで奥州藤原氏義経一行を手厚くもてなしてきたのに、その厚意をむげにしちゃうの?
    • このまま御館の下で時を重ねていては、私は一体何者なのか、何のためにこの世に生を受けたのか、知らぬままに老いていくのでは、と歯がゆく思っていた。
    • 自分は未だ独り立ちもしていない。家来を持つものとしては、事ある時は存分に働かせてやらなければならない。
  • 平泉で夢を見るんじゃなかったっけ?
    • 武士である以上、戦場に赴き、自らの手で手柄を打ち立て、運も領地も切り取らなければならない。

言っていることはなかなかかっこいい。ここだけ見てみると、兄の下へはせ参じる理由としては悪くはないと思う。でも、そこまでして兄にこだわる切実さが今までの義経の言動・態度から見えてこない。前々から兄への思いは口にしていたとはいえ、どうも納得いかないなー。うーん、結局、「血は水よりも濃い」という理屈なのでしょうかね。
あと、第13回で秀衡が義経に「一度は父と思った清盛入道に刃を向けることができるのか」と問いかけたけど、義経は結局清盛のことは口にしないまま平泉をあとにしちゃった。秀衡としては上に挙げた答えだけで満足しているのだろうか。


言いたいことは、つまり奥州編短すぎるよーってことです。9年間という長い年月を、たった5話で終わらせてしまうなんて…。しかも、ただでさえ短いのに、やれうつぼの恋心だの、やれ義仲との出会いなど、義経側が出てくる時は義経周辺のエピソードが主で、義経自身の感情がほとんど描かれていないのもどうかと。奥州編では義経がどう成長するのか、なぜ平泉で夢を見るのをやめたのかをじっくり見たかったのになー。
ここのところ、主人公の描写がなおざりになっている気がする。こんな調子でこれから先、大丈夫なのかな。

*1:頼朝