第9回 「義経誕生」その2

予告で内容の詰め込みぶりを見ていたので覚悟はしていたけれど、一言で言うと、「なんじゃこりゃー!」

部分部分でつぼった所はあったんですよ。伊勢三郎南原清隆)を「蟹」呼ばわりしたのは、『源義経』を読んでいた私としては嬉しかったし、その他の家来も明るい人ばかりで、互いにどついたりするところが面白かった。北条政子財前直見)が毎回脱いでいるのはさすがにどうかと思うけど、その他の女性陣及び役柄を考えると、脱いでくれるのは消去法で彼女しかいなさそうだし、ね(何の話だ)。

でも、内容詰め込みすぎて本当に「あらすじ」だけ見せられたのは、少々辛い。一話で喜三太(伊藤淳史)・武蔵坊弁慶松平健)・伊勢三郎が一気に家来になったのはいくらなんでも強引過ぎる。仲間に入る動機はそれなりに納得いったけど、奥州に下るのがどれだけ大変なことか、平家に追われる遮那王義経滝沢秀明)と共に逃避行しなければならないことを、あの家来たちはどれぐらい分かっていたのだろうか。後、楽しい旅のイメージシーンは見たけど、宿に泊まったりとか食べるものとかで困っていなかったのも、なんだかなあ。後で頼朝(中井貴一)に手紙を書くときに、「辛かったんだよ!」という文を入れるのがをが想像つかないです。

後、義経はどうして実の父に対してあんなにそっけないんだろう。確かに義朝(加藤雅也)が死んだのは彼が乳飲み子のころだったし、幼い時は清盛(渡哲也)を父とも思ったのだから、あまり実父に対して思い入れがないのは感覚としては分かる。でも、怪しいおじさんに「お前は義朝の子じゃ!」と言われてから、彼の意識は清盛ばかり向いていて、義朝の方に向かないのはどういうことなんだろう。庶子とはいえ、源氏の子として生まれたのはもっともっと誇りにすべきなんじゃないのかな。義経−清盛ラインばかり時間を割いても、そこらへんのことが描かれていないので、奥州に行く動機がなんだか曖昧だし、義朝最期の地で元服しても、事務的な手続きとしか思えなかった。本当にこれでいいのかなあ。

来週は平泉到着ですね。ちょうど『炎立つ』を見たばかりなこともあるので、奥州藤原氏がどんな感じに描かれるか期待したいところです。